ブルンパーゴ

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夏の間芳しくなかったのに、
今頃になって凛と咲き始めた。


時々覗くブログに、「毎日だらだらこんなこと書いてもね~」とあるけど、
だらだらでも(決してそんなことはないけど)毎日書けるっていいなあと思う。
よーし自分も‥と思うけど、書いている内に面倒になってしまう。

面倒‥は適切じゃないな、
何て書こう‥
こういう調子で、時間ばっかりかかって、最後は眠くなってupを諦める。

今日は構えずに書いてみよう。
構えず‥うん、これはぴったりだ。
毎日、ちょっとややこしいことばかり考えていて、
普通の(福祉以外のという意味)生活、仕事をしている人には、
あんまり興味がないかも‥と思ってしまうのが、upできない理由。

とりあえず記録という意味で。
説明不足のところがあるかもしれないけど。


3日前の夜の9時過ぎ、自宅に利用者さんから電話がかかってきた。
「今日ね、○○さんがね、」
と言って、ある職員の言動に「頭に来た」と。
電話を切ったあと、やったー!と思った。

昨日、
「リストカットする時、薬を飲む時、本当は死にたくないの」
「薬を飲む時、1か月分飲んだって1年分飲んだって絶対死なないと思っているの」

「死にたくない、薬を飲んだって死なない、そう思っているのに、
薬を飲みたくなるのね?それはどうしてかなあ?」と聞くと、
「心配して欲しかった」

やっと、その言葉を、その子自身の口から発せさせることができた、
安心しきってしまうわけにはいかないけれど、
これはかなりの進展だと嬉しくなった。


その子は今短期入所を利用しているのだけど、その前は遠くの県に住んでいて、
ことあるごとに、「死にたい」と電話をかけてきた。
実際に薬を飲んで危篤状態に陥ったときもあり、
いろいろ紆余曲折があり、今に至っているのだけれど、
うちに来るきっかけとなった「包丁事件」について聞いたことがある。

「包丁を買ったとき、どんな気持ちになった?」

「ほっとした」

分かると思った。

包丁を買ったのは、「死にたい」と思う気持ち。
それ以上に強い、「生きたい」「死にたくない」と願う気持ち。

死ぬしかない、それしか自分を楽にさせる道はない、
でも、心の底から湧き上がってくる、
「生きたい」という気持ち、「助けて」という気持ち。
受け取ってもらえないかもしれない、
いや、受け取ってもらえる、受け取って欲しい、
その最後の賭けを、「包丁を買った」という言葉に込めた。

包丁があるから込められた。
これ以上傷ついたって構わない、だって包丁がある、いつだって死ねる。
死ぬ怖さに比べたら、傷つくことなんて。
今分ることだけど、あのとき、あの子は、一歩飛翔していたのだ。
その飛翔の高さに、運良く乗っかることができたのだ。


もっと最短の道があったのかもしれないと思う。
私を含めた回りの者が、もっと的確な対応ができていたらと。
反対に、今までのすべては、その子にとって、私達にとって、
必要なことだったのかもしれないとも思う。

好きな言葉、信じたい言葉。
屈めば屈むほど高く飛べる。


ああ、また、中途半端になってしまった。
続きはまたいつか。